FEATURE ・ 2026年9月特集

歴史を歩く

Walking Through History

本で読んだ場所に立つと、読んでいたときには分からなかったことが分かります。芭蕉が「名月」と書いた土地には、いまも同じ空があります。

紀行文をたどる旅から、皇室が静養の地に選んだ町まで。碑と碑のあいだは、歩いて繋ぐしかありません。秋は、そのための季節です。

13枚の地図

01

MAP ・ 27 SPOTS

日本の世界遺産 全27件の地図

sou.history

日本にあるユネスコ世界遺産、全27件(文化遺産22・自然遺産5)を、北の知床から南の沖縄まで地方ごとに並べて一枚にまとめた地図です。2026年7月に登録された「飛鳥・藤原の宮都」まで入っています。流氷の知床から、縄文の集落、古都の寺社、近代の工場や鉱山、亜熱帯の島々まで。ひとつの世界遺産がいくつもの場所に分かれているものは、代表になる場所にピンを立て、ほかの構成資産は説明に書きました。各スポットの説明の最初に英語の正式名を添えています。旅の計画に、行ったところを数えるのに、どうぞ。

1614年の冬と1615年の夏、大坂城の南で二度の戦いがありました。城の守りが弱いのは南側だけで、だから戦いはぜんぶ上町台地の上で起きています。真田信繁が出城を築いた場所から始めて、台地を南へ。最後は城へ戻って、豊臣家が終わった場所で終わります。半日。地形を意識しながら歩くと、なぜここで戦ったのかが体で分かります。

いま石垣も堀も、ぜんぶ徳川のものです

豊臣の大坂城は落城のあと埋め立てられ、その上に新しい城が建てられました。だから公園を歩いていて目に入るのは徳川、秀吉の痕跡は地下と、いくつかの場所にだけ残ります。大手門から入って、重要文化財の櫓を横目に本丸へ。天守を見たあと、秀頼と淀殿が最期を迎えたと伝わる山里丸へ下ります。1〜2時間。

貞享4年(1687年)の仲秋、芭蕉は名月を見るために、門人の曾良・宗波を連れて深川を発った。目指すは常陸・鹿島、参禅の師・仏頂和尚のいる根本寺。舟と徒歩で利根川を渡り、雨にけぶる月を待つ——『鹿島紀行(鹿島詣)』の道のりをたどる、短い月見の旅の読み物マップ。

貞享元年(1684年)秋、芭蕉は『野ざらしを心に風のしむ身かな』と詠んで江戸を発った。旅の途中で野垂れ死ぬことも覚悟した、41歳・最初の本格的な旅。東海道を西へ、富士川の捨子、桑名の白魚、大津のすみれ草——のちの名句の原点となった風景をたどる。※伊勢・伊賀・吉野は別マップ(笈の小文・伊賀)に譲り、野ざらし紀行ならではの地を中心に。

貞享5年(1688年)秋、芭蕉は美濃から木曽路を越え、更科の里・姨捨山の名月を見るための旅に出た。目的は、ただ月を見ること。険しい木曽の桟から、棚田に月が映る姨捨、そして善光寺へ。『俤や姨ひとり泣く月の友』『月影や四門四宗もただ一つ』——月の名所をたどる信州の読み物マップ。

松尾芭蕉が生まれ育った町、伊賀上野(三重県伊賀市)。処女句集を書いた生家の釣月軒、俳聖の姿をかたどった俳聖殿、唯一現存する草庵・蓑虫庵、そして旅先で没した芭蕉の遺髪が眠る故郷塚——生誕から旅立ち、そして帰郷まで、芭蕉その人をたどれるゆかりの地は、城下町に歩いて回れる距離でかたまっている。半日でめぐる、俳聖のふるさとさんぽ。

『奥の細道』の後半

平泉で折り返した芭蕉は、山刀伐峠を越えて出羽(山形・秋田)へ入り、最上川と出羽三山、日本海の象潟をめぐる。越後・北陸を南下し、金沢・山中温泉・敦賀を経て、旅は結びの地・大垣へ。『荒海や佐渡によこたふ天河』『閑さや岩にしみ入る蝉の声』——みちのく編に続く、旅の後半15か所を旅順に。

『奥の細道』で芭蕉が「本当のみちのく」を歩いた前半。那須野から白河の関を越え、須賀川・武隈・塩竈・松島を経て、栄華の跡・平泉へ。名句の地だけを拾った看板マップでは飛ばした、道中の歌枕や古社寺もあわせてたどる東北の深掘り版。『木啄も庵はやぶらず夏木立』『夏草や兵どもが夢の跡』——みちのくの12か所を旅順に。

貞享4年(1687年)の冬、芭蕉は江戸を発ち、故郷・伊賀に帰り、伊勢・吉野・高野・和歌浦・奈良を経て、須磨・明石へと旅した。『笈の小文』に記されたこの旅は、桜と月、そして父母への思いに満ちている。『ちちははのしきりに恋し雉子の声』『蛸壺やはかなき夢を夏の月』——名句の生まれた関西の地を、旅順にたどる読み物マップ。

松尾芭蕉が人生の後半を過ごし、奥の細道へ旅立った町・深川(いまの東京都江東区)。芭蕉庵の跡、隅田川を望む芭蕉像、旅立ちの採荼庵跡……ゆかりの地は歩いて回れる距離にかたまっている。半日でめぐれる、芭蕉が暮らした水辺の町さんぽ。奥の細道マップと対にどうぞ。

元禄2年(1689年)春、松尾芭蕉は弟子の曾良を連れて深川を発ち、東北から北陸へ約2,400km・150日の旅に出た。道中で生まれた句は、いまも各地の風景とともに残っている。『夏草や兵どもが夢の跡』の平泉、『閑さや岩にしみ入る蝉の声』の山寺、『五月雨をあつめて早し最上川』……旅立ちの深川から結びの大垣まで、名句の生まれた地を旅順にたどる読み物マップ。※句碑・記念館など、いま訪ねられる場所を中心に。

御用邸は、天皇や皇室の方々が静養する「別邸」

宮内庁は規模の大きいものを離宮、小さなものを御用邸と呼び分けてきた。避暑・避寒のため明治期から各地の風光明媚な土地に営まれ、いまも那須・須崎・葉山の3邸が現役で使われている。廃止された邸のいくつかは記念公園として公開され、当時の建築や庭を歩ける。現存する3邸と、見学できる旧御用邸をめぐる読み物マップ。