松尾芭蕉が生まれ育った町、伊賀上野(三重県伊賀市)。処女句集を書いた生家の釣月軒、俳聖の姿をかたどった俳聖殿、唯一現存する草庵・蓑虫庵、そして旅先で没した芭蕉の遺髪が眠る故郷塚——生誕から旅立ち、そして帰郷まで、芭蕉その人をたどれるゆかりの地は、城下町に歩いて回れる距離でかたまっている。半日でめぐる、俳聖のふるさとさんぽ。
2026.08.25
·合計 約3.7km
日本、〒518-0871 三重県伊賀市上野赤坂町304
松尾芭蕉が生まれ育った家。奥の離れ『釣月軒』で、29歳の芭蕉は処女句集『貝おほひ』を書き上げた。俳諧師・芭蕉のすべてが始まった場所。
日本、〒518-0861 三重県伊賀市上野東町2929
芭蕉が処女句集『貝おほひ』を奉納した神社。若き日の芭蕉が俳諧師として世に出る第一歩を刻んだ。豪壮な上野天神祭(ユネスコ無形文化遺産)でも知られる。
日本、〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内106
藤堂高虎が築いた城。日本有数の高石垣で名高く、芭蕉が見上げて育った故郷のシンボル。城を抱く上野公園に、芭蕉ゆかりの施設が集まる。
日本、〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内117−4
昭和17年、芭蕉生誕300年を記念して建てられた聖堂。丸い屋根は旅笠、八角の庇は袈裟をかたどり、旅する芭蕉の姿そのものを建築にした。伊賀のシンボル(重要文化財)。
日本、〒518-0848 三重県伊賀市上野西日南町1820
芭蕉の門弟・服部土芳が結んだ草庵で、芭蕉五庵のうち唯一現存する。庵開きに芭蕉が『蓑虫の音を聞きに来よ草の庵』を贈ったことから、この名がついた。
日本、〒518-0831 三重県伊賀市上野農人町354
芭蕉は元禄7年、旅先の大坂で世を去った(墓は近江・義仲寺)。だが遺髪は故郷に戻り、松尾家の菩提寺・愛染院の『故郷塚』に納められた。旅に生きた俳聖が、最後に帰った場所。
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2026.08.25
·合計 約3.7km
日本、〒518-0871 三重県伊賀市上野赤坂町304
松尾芭蕉が生まれ育った家。奥の離れ『釣月軒』で、29歳の芭蕉は処女句集『貝おほひ』を書き上げた。俳諧師・芭蕉のすべてが始まった場所。
日本、〒518-0861 三重県伊賀市上野東町2929
芭蕉が処女句集『貝おほひ』を奉納した神社。若き日の芭蕉が俳諧師として世に出る第一歩を刻んだ。豪壮な上野天神祭(ユネスコ無形文化遺産)でも知られる。
日本、〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内106
藤堂高虎が築いた城。日本有数の高石垣で名高く、芭蕉が見上げて育った故郷のシンボル。城を抱く上野公園に、芭蕉ゆかりの施設が集まる。
日本、〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内117−4
昭和17年、芭蕉生誕300年を記念して建てられた聖堂。丸い屋根は旅笠、八角の庇は袈裟をかたどり、旅する芭蕉の姿そのものを建築にした。伊賀のシンボル(重要文化財)。
日本、〒518-0848 三重県伊賀市上野西日南町1820
芭蕉の門弟・服部土芳が結んだ草庵で、芭蕉五庵のうち唯一現存する。庵開きに芭蕉が『蓑虫の音を聞きに来よ草の庵』を贈ったことから、この名がついた。
日本、〒518-0831 三重県伊賀市上野農人町354
芭蕉は元禄7年、旅先の大坂で世を去った(墓は近江・義仲寺)。だが遺髪は故郷に戻り、松尾家の菩提寺・愛染院の『故郷塚』に納められた。旅に生きた俳聖が、最後に帰った場所。