松尾芭蕉が人生の後半を過ごし、奥の細道へ旅立った町・深川(いまの東京都江東区)。芭蕉庵の跡、隅田川を望む芭蕉像、旅立ちの採荼庵跡……ゆかりの地は歩いて回れる距離にかたまっている。半日でめぐれる、芭蕉が暮らした水辺の町さんぽ。奥の細道マップと対にどうぞ。
2026.08.21
·合計 約2.2km
日本、〒135-0006 東京都江東区常盤1丁目3−12
芭蕉が住んだ『芭蕉庵』があったと伝わる地。延宝8年(1680)、門人・杉山杉風の所有地だったこの地に移り住み、元禄7年(1694)に亡くなるまで、ここから全国の旅に出た。大正6年、津波のあとに芭蕉遺愛と伝わる石の蛙が見つかり、庵跡と定められた。深川さんぽの起点に。
日本、〒135-0006 東京都江東区常盤1丁目1−3
隅田川と小名木川が出会う水辺の小さな庭園(芭蕉記念館の分館)。川を望んで芭蕉翁像が座り、夕方17時に向きを変えて川面を眺める。芭蕉が舟で旅立った風景が、いまもここに広がる。
日本、〒135-0006 東京都江東区常盤1丁目6−3
芭蕉と俳諧の資料館。直筆や関係資料を展示し、奥の細道の旅の全体像もつかめる。芭蕉庵史跡展望庭園へは徒歩3分。深川さんぽの予習にも復習にも。
日本、〒135-0033 東京都江東区深川1丁目11−11
元禄2年、芭蕉はここ(門人・杉山杉風の別邸)から奥の細道へ旅立った。『行く春や鳥啼き魚の目は泪』。海辺橋のたもとに、いままさに発とうとする旅姿の芭蕉像が座る。
日本、〒135-0024 東京都江東区清澄3丁目3−9
岩崎家が造った回遊式林泉庭園。芭蕉その人の旧跡ではないが、深川さんぽの道中にある名園で、水辺の休憩にちょうどいい。大きな庭石をめぐりながらひと息を。
日本、〒135-0004 東京都江東区森下1丁目3−17
深川の地名発祥の地とされる古社。深川八郎右衛門がこの一帯を開き、芭蕉が暮らした深川の町の礎になった。さんぽの締めに、町の始まりへ。
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2026.08.21
·合計 約2.2km
日本、〒135-0006 東京都江東区常盤1丁目3−12
芭蕉が住んだ『芭蕉庵』があったと伝わる地。延宝8年(1680)、門人・杉山杉風の所有地だったこの地に移り住み、元禄7年(1694)に亡くなるまで、ここから全国の旅に出た。大正6年、津波のあとに芭蕉遺愛と伝わる石の蛙が見つかり、庵跡と定められた。深川さんぽの起点に。
日本、〒135-0006 東京都江東区常盤1丁目1−3
隅田川と小名木川が出会う水辺の小さな庭園(芭蕉記念館の分館)。川を望んで芭蕉翁像が座り、夕方17時に向きを変えて川面を眺める。芭蕉が舟で旅立った風景が、いまもここに広がる。
日本、〒135-0006 東京都江東区常盤1丁目6−3
芭蕉と俳諧の資料館。直筆や関係資料を展示し、奥の細道の旅の全体像もつかめる。芭蕉庵史跡展望庭園へは徒歩3分。深川さんぽの予習にも復習にも。
日本、〒135-0033 東京都江東区深川1丁目11−11
元禄2年、芭蕉はここ(門人・杉山杉風の別邸)から奥の細道へ旅立った。『行く春や鳥啼き魚の目は泪』。海辺橋のたもとに、いままさに発とうとする旅姿の芭蕉像が座る。
日本、〒135-0024 東京都江東区清澄3丁目3−9
岩崎家が造った回遊式林泉庭園。芭蕉その人の旧跡ではないが、深川さんぽの道中にある名園で、水辺の休憩にちょうどいい。大きな庭石をめぐりながらひと息を。
日本、〒135-0004 東京都江東区森下1丁目3−17
深川の地名発祥の地とされる古社。深川八郎右衛門がこの一帯を開き、芭蕉が暮らした深川の町の礎になった。さんぽの締めに、町の始まりへ。